自転車で海外を走ってみたい。
オーストラリア縦断4,000km、気がつけば、地球儀に線を描けるほど走っていました。
最近は日本では、SUPボードでの川下りにも挑戦しています。
国道沿いの川も、水面に降り立てば自然の只中ということを再発見。瑞々しい日本の良さをあらためて実感しています。
こちらでは、オーストラリアを自転車で40日間かけて4,000kmを走破した記録をつづっていきたいと思います。
持ち物
まずは持ち物からご紹介していきたいとおもいます。
自転車 | キャンプ | 生活 |
□ 自転車 | □ バッグ | □ 衣類 |
□ パンク修理セット | □ 折り畳み式水タンク 10L x 2 | □ ハエ除け網 |
□ 替えタイヤ | □ テント | □ 日焼け止め |
□ 替えチューブ | □ マット | □ レインウェア上下 |
□ ブレーキワイヤー | □ シュラフ | □ 地図 |
□ シフトワイヤー | □ ストーブ | □ ガイドブック |
□ チェーン数コマ | □ ガソリンボトル | □ 洗面具 |
□ オイル | □ 食器 | □ 常備薬 |
□ 針金 | □ 筆記用具 | |
□ 工具一式 | □ カメラ | |
□ メーター | ||
□ サイドバッグ | ||
□ フロントバッグ | ||
□ 輪行袋 |
タイヤ
自転車に関しては、替えタイヤは絶対に必要です。
舗装が荒く、4,000km走る間に薄くなる可能性があるためです。
それに伴い、自転車で旅をする人でしたら問題はないかと思いますが、パンクやチェーンの修理、ワイヤー交換などもできるようになっておきましょう。
ウォータータンク
折り畳み式ウォータータンクは、20リットルの水を運ぶためです。
私の場合は、日中だけで4リットルの水を飲み、朝晩を足すと1日に8リットルも飲んでいました。
2日間水を補給できない区間があるため、20リットルの容量が必要になります。
バッグは、大量の水を運ぶ際には、半分は背負うのに使っていました。ハンドル回りを重くせず、操作性を維持することができます。
レインウェア
乾燥したイメージの強いオーストラリアですが、北部は熱帯気候のため、スコールが降ることが多々あります。
そのため、レインウェアも必要です。
日焼け止め
陽射しが強烈で紫外線もとても強いため、日焼け止めもあった方がよいでしょう。
サングラスも持って行った方がいいと思います。
頭にかぶる蚊やハエよけのネットなどは、現地で購入することもできます。
現地入り
まずは情報収集
出発前
図書館と在日オーストラリア総領事館で情報を収集しました。
さえぎるものは何もないオーストラリア大陸。季節毎の風向きを調査し、3月は北から南に走ることに決定。
結果的に、厳しい向かい風は少なく、正解だったと思います。
Wind Roses for Selected Locations in Australiaでは都市、月、時間帯別の風速が分かるため、大変便利です。
現地
シドニーの自動車関係の役所で情報を収集。
大陸を縦断するスチュアートハイウェイの地図を入手しましたが、ルート上のロードハウス(=売店兼キャンプ場)の位置が記されているため、とても重宝しました。
だいたい平均して100kmごとに、ロードハウスがあります。
WikipediaのStuart Highwayで事前に情報を集めることができるので便利です。
出発地点へ現地入り
飛行機で、シドニーから大陸中央のアリススプリングス経由で北端のダーウィンへ向かいます。
そこから自転車で南端のアデレードまで縦断するのですが、アリススプリングスでの飛行機の乗り換え時の気温が40℃を超えていて、この灼熱の下を走ることになるかと戦慄が走ったのを覚えています。
航空券の検索はいろいろありますが、個人的にはMomondoが使いやすいと思います。
運賃のみならず、日程や地域変更時の変化も一覧表示。
有名なSkyscannerよりも使いやすく、フレキシブルに旅を検討したい方は、Momondoがおすすめです。
いざ出発!
壮大なスケール
スチュアートハイウェイを走り出すと、次の街までの距離を示す標識が現れます。
日本では通常2桁、長くても3桁のキロ数だと思いますが、ここオーストラリアではなんと4桁になります笑
オーストラリアの広大さを感じさせてくれますが、中間地点のアリススプリングスまで1,479km。。
まずはこの数字をカウントダウンしながら走ることになります。
ロードトレイン
このスチュアートハイウェイ上を、ロードトレインなる3両編成のトレーラーが走っています。
全長50m以上もある巨大ロボットのサイズです。
オーストラリアで普通に車を運転する際にも気をつけなくてはいけませんが、自転車での旅となると尚更恐怖です。
この巨大ロボットが轟音を立てて後ろから近付いてきて、追い越される際には、風圧で巻き込まれそうになります。
アリ塚
オーストラリア中央部は砂漠のイメージかもしれませんが、北部には緑もあります。
走っていると、道路脇に、人の背丈以上もある巨大な土の塔が林立。
シロアリのアリ塚で、50年以上使われるものもあるそうです。オーストラリアは自然もスケールが大きいです。
トラブル発生…
ダーウィンから約300km、2番目の街キャサリンを通り過ぎたところで、後ろの変速機がまっぷたつに折れてしまいました。
針金と工具で応急処置をして、街へ戻ります。
幸いな事に、キャサリンには自転車屋が一軒あり、交換して先へと進みます。
この後は中央のアリススプリングスまではロードハウスのみで、自転車屋は一軒もありません。
アリススプリングスでは信号機も無かったように思います。
この経験から、次のロードハウスへの中間地点で自転車のフレームが折れるという最悪のケースまで想定して行動するようになりました。
なお交通量は、スチュアートハイウェイ上は1時間に1台程度は車が走っています。
脇の舗装されていない道に入ると、1日に数台しか出会わない道もあります。
万が一の際にサポートを求める可能性として頭においておきます。
旅のオアシス
スチュアートハイウェイには、ロードハウスがあります。ガソリンスタンドと売店が併設されたもので、中にはバーがあり、裏手はキャンプ場になっています。
バーでは簡単な軽食がとれ、昼間立ち寄った際には、ハンバーガーを注文していました。
売店の食料品は簡単なもので牛乳やパン、缶詰、ラム肉などですが、これでも結構豪勢な食事は作れます。
ある日の夕食は、パンとトマト缶、コーン缶、ラム肉のステーキ。
朝食は手をかけず、シリアルと牛乳などで簡単に済ませ、日中は、ドライフルーツを口に放り込みながら走り続けます。
オーストラリア縦断中、水と食料は、全てロードハウスで補給します。 旅のオアシスのような存在ですが、平均して約100km毎に設置されているため、ちょうど自転車で1日走れる距離になっています。
中には、200km以上無補給の区間もあるため、そういう日は水と食料を積んで、道端で野宿することもあります。
夜間の野宿はやはり危険も伴うため、車から目につかないように、窪地か灌木を探して陰で寝るようにしました。
オーストラリアの動物たち
砂漠の真ん中で
基本的に内陸は砂漠が広がっているオーストラリアですが、たまに生き物に出会うと、とても愛おしく感じられます。
こちらの写真にあるトカゲは砂漠の真ん中で、身体を膨らまして驚かしてきます。
おそるおそる手を伸ばしてみるとこの通り。ほんとに愛敬があります。
水たまりに
砂漠の岩陰には、水たまりが隠れていることがあります。 その中を覗いてみるとカニがいたりします。
エアーズロックの頂上の水溜まりにまで、小さなエビのような生き物がいました。
乾季はどのようにして生き延びているのか、またどうやってエアーズロックの頂上にまでやってきたのか、自然の神秘を感じます。
オーストラリアの象徴
オーストラリアの象徴であるカンガルーは南部に多いです。
地平線を上下に動くものがあり、目を凝らして見ると、カンガルーの群れだったりします。
中には、道端から数メートルのところで慌てて逃げだすものもいます。
砂漠の中のオアシス?
オーストラリア中央部はハエが非常に多いです。
自転車を止めると、どこからやってきたのか、ハエが群がってきます。
顔中を歩き回り、耳を手でふさぐと耳の中に捕らえられ、鼻や口で息を吸い込むと口の中に入ってきます。
自転車で走り出しても20km/hrくらいでは振り切れず、たまに現れる下り坂を利用して40km/hrほど頑張って、やっと脱出できます。
もちろんハエ除けネットも使ってはいますが、無いよりはましな程度です。
ある日、乾燥でひび割れた私の唇の血に集うハエを見て、彼らにとっては私は砂漠の中のオアシスのような存在なのかも、と思い達観したことがあります。
オーストラリアの素晴らしさは、ハエによってスポイルされるものではないので、ご安心ください。
中間地点のアリススプリングス
アボリジニの聖地
ダーウィンから1,100kmで、デビルズ・マーブルズに通りかかります。
砂漠の真ん中に大きな岩がごろごろと転がっている、とても不思議な土地です。
アボリジニの聖地でもあり、Karlu Karluと呼ばれています。通りがかった際は、立ち寄ってみるのもよいと思います。
そのまま地平線に向かって走り続け、南回帰線を通過します。熱帯のダーウィンから出発し、地球的な寸法で走ってきたことになります。
そして夕闇の中、ついにアリススプリングスに到着!
久しぶりの街の光に、涙が出そうになります。犬の吠え声まで、人里に来たという懐かしさを感じさせます。
東から西に縦断するイタリア人
イタリアからやってきたという親戚3人組。 大陸を東西に横断中とのこと。
東西ルートは、舗装されていない部分も多く、よりハードな道のりになります。
自転車の後ろにリヤカーを引く工夫をしています。
日本人にも会いました。地平線の向こうからやってきた日本人2人組。別れ際に背中を見ると、Tシャツに私の故郷の名前が!?
話を聞くと、故郷の街の高校出身とのこと。こんな海外の砂漠で会うとは、意外にも地球の狭さ?を感じました。
エアーズロックと風の谷
風の谷
アリススプリングスから、エアーズロックに行く途中で「風の谷」へと向かいます。
その名の通り、ナウシカのモデルになったという一説もある場所です。
赤い岩山の間に割れた大きな緑の谷間。エアーズロックのかげに隠れていますが、こちらの方が大迫力!
エアーズロックも2019年から登頂が禁止されたようですし「風の谷」はぜひおすすめです。
なお昼前後に訪れたところ、他の観光客が少なく一人では迷いそうでした。
陽が高くなる前、午前中がよいかもしれません。
アボリジニの旅行会社
エアーズロックからスチュアートハイウェイに戻る途中で、一台のバンが乗せてくれました。
アボリジニの旅行会社の人達で、夜も車中で一泊させてもらいました。ほんとにありがたいことです。
翌日はヘリコプターに乗せてもらいました。そこはキングスキャニオン & ワタルカ国立公園。
空から見ると、グランドキャニオンのような地形が広がっています。 これまで見たアボリジニの人は、補助金暮らしで、昼間からバーでお酒を飲んでいる人も居ました。
しかし、彼らの伝統的な生活手段を奪い、そうさせてしまったのは、植民者たち。
偏見をもたないよう、気を付けたいところです。
クーバーペディからウードナダッタトラック – 砂漠の真ん中へ
オパール鉱山の街での少年との出会い
国立公園を後にして、オパール鉱山の街「クーバーペディ」に着きます。
この街の人は、岩をくりぬいた家に住んでいます。夏は外気温40℃近くになるところ、穴の中は意外にも涼しいのです。
天然の空調機があるような、こんな家に住んでみたいと思わせてくれる場所です。
ここでは、自転車好きの少年と出会いました。 鉱山で働くお父さんと2人、トレーラーハウスで暮らしています。
小山を駆け下るのが大好きで、転んでも痛みをこらえ、次はできるはずと何度もトライする姿が印象的。
オーストラリアの開拓精神を体現しているかのようでした。
ウードナダッタトラック
ここからスチュアートハイウェイを離れて、舗装されていないウードナダッタトラックを走ります。
一度現地の警察署に状況を聞きにいったところ、止められました。
日本大使館からも危険だからやめるようにと電話がありました。 どうも、前夜オートバイで走行中の日本人が、牛に激突して亡くなっており、関係者が敏感になっていたようです。
クーバーぺディからウードナダッタまでは200kmのダート。順調に進めば1泊2日、20Lの水で充分です。
一方、途中で砂地が出現すると、ペースが一気に遅くなります。その際は、以前に乗せてもらったように、車に乗せてもらいます。
水と砂地と交通の有無がポイントになるかと思います。
このルートでは交通量がぐっと減り、1日に数台出会う程度になります。
幸運なことに通りがかった気のいいオージーたちにキンキンに冷えたビールをもらうことも。
今までの人生の中で一番美味しいビールだったのを覚えています。 1日目の晩は、砂漠の真ん中でキャンプをしましたが、半径100kmで星だけが瞬いています。
2日目には、砂地が再度出現します。水が重く、タイヤをとられ、押して歩くことに。
ウードナダッタまで残り20~30kmでしたが、念のため、通りがかった車にのせてもらう事にしました。 ようやく、ウードナダッタに到着。
集落の人口は9人と、まさに砂漠の中のオアシスです。
ウードナダッタトラックは面白い道でした。
車で行く際も、水は大量に運びましょう。
山岳地帯フリンダース・レンジ
これまでずっと平原を走ってきました。
あまりの平坦さに、わずか2~3mの起伏も、峠と感じるほど。
坂を登りたいので、フリンダース山脈を目指す事にしました。 山中で知り合った人と、2人で登山。
大地の背骨とでも呼ぶような、スケールの大きい光景が広がります。
山頂からの下り道では、ヤギと遭遇。どうやらケモノ道に入り込んでしまったのかもしれません。
この灼熱の下、遭難の二文字が頭をよぎり内心少しあせりつつも、足を進めますが、やがて元のルートへと戻ることができました。水と非常食は必須です。
旅のゴール、アデレードへ
いよいよオーストラリア大陸南端である旅の終着点、アデレードに到着しました。
100万人都市のアデレード。
旅の途中では、人口が9人の集落。
ダート道の真ん中では、半径100km、人っ子一人いない砂漠の真ん中で、星空の下寝袋一つで寝ました。
これだけの数の人間が、いったいどのようにして生きていけるのだろうか。
文明が存在することの不思議さ、貴重さを、あらためて感じる旅でもありました。